【講座:護蹄管理】削蹄師が日本の畜産を救う!(2)

3.大きいことはいいことだ!?
ここで気分を変えて、牛のエサの話をしましょう。牛が家畜たるゆえんは、人間が利用できない草を人間が利用できるタンパク質(生命の源)に変えることでした。日本の肥育牛は脂肪交雑が重視され、筋肉組織の60%前後が脂肪、つまり脂肪(うまみ)の中に筋肉(生物のおおもと)があるという生物学的に異常な状態になっていますが、これは日本だけの話です。
乳牛は、昭和50年頃は体重が500kgもなく、305日補正乳量は6,000kgに満たないものでした。それがアメリカのまねをすることで高泌乳への改良が進み、305日補正乳量は世界3位をキープしています。その副産物として、たくさん食べないと乳が出ないので、ルーメン(第一胃)の大型化とその結果としての牛の大型化が進み、体重は800kg近くにまで増え、古い牛舎では飼えない別の動物になってしまいました。この高泌乳化は農家に多額の収入をもたらした・・・のなら良いのですが、そうは行きませんでした。農家の目の前を大きなお金が通り過ぎていくだけの状況が作られてしまいました。さらに高泌乳化は多くの問題を派生させました。

(1) 乳が出すぎると繁殖がへこむ!?
牛はルーメンに多くの微生物を飼っていて、その微生物が粗飼料を分解して、生体が利用できる物質に変換します。飼料構成内容や飼料そのものの変更によって微生物は種類と数が大きく変動し、飼料の内容や採食量が安定してからも、その飼料に対応できる微生物叢が安定するまでに、理論上でも1ヶ月くらいかかります。微生物叢が安定するまでの間、牛はエネルギー不足の状態に置かれるため、身体を削って乳を出します。牛群の血液栄養診断でこの期間をみると、だいたい分娩後3〜4ヶ月継続します。人間に例えると、過酷な労働環境に置かれながら、昼ご飯をもらえないような状況が3〜4ヶ月継続する様な状態です。
その結果、牛の内分泌は生命を維持するためのホルモン分泌に偏ってしまい、生きるためには子作りなんてやってられないよ、と繁殖関係のホルモン分泌が抑制されます。現在、いろいろなホルモン剤を投与して繁殖成績を改善しようとしていますが、それは根本的な問題解決ではなく、牛にさらなる無理を強いているだけです。
ヨーロッパの国々の多く(例外あり)やオセアニアの国々は高泌乳を目指さず、乳量はそこそこ(日本の2/3くらい)で自給飼料主体の循環型畜産を行っています。高泌乳に血道を上げているのはイスラエル、アメリカ、カナダ、そして日本くらいです。
生体はトータルバランスの結晶です。なにかを突出させると何かがダメになるのは生物の当然の摂理です。今の日本では高泌乳を求める余り、繁殖成績悪化ばかりではなく、疾病が多発して牛の寿命が著しく短くなっています。

(2) 昨日までの常識は明日の非常識!?
高泌乳に対応するため、トウモロコシ、麦、大豆などの穀類が大量に輸入されて給与されています。これは牛ばかりではなく、日本の家畜すべてがアメリカ等から輸入された穀類を大量に摂取しており、これが食糧自給率を2割くらい下げていると言われています。この穀類大量輸入がもたらす弊害が、地下水や河川水の窒素汚染、つまり窒素循環の破綻です。これは最終的には水道水中のトリハロメタン(発がん物質)増加という形で人間の健康被害につながっています。これを解決するには家畜の糞尿をアメリカにお返しするしか手がありません。世界的に環境問題が重視され、世界的に循環型(持続型)社会に舵が切られつつある現在、窒素循環破綻を前提とした畜産がいつまでも継続できる保証は何処にもありません。ガソリン車が一気に駆逐されようとしている今日を誰が予測できたでしょうか?これと同じことが日本の畜産の世界でも起きる可能性は高いと思います。
また乳牛は非常に過酷な生産活動を強いられているため、健康維持のために様々な添加物が給与されていますが、これが草地や農地の重金属汚染につながっていることも20年くらい前から問題視されています。アニマルウェルフェアや環境問題への対応で世界的な大きな流れから取り残されている日本では、昨日までの常識は明日の非常識、という激変の時代が来るかもしれません。

(3) うまいものには罠がある!?
やっと本題に到達しました。ルーメンの容積には限界があるため、高泌乳になればなるほど栄養供給を濃厚飼料に依存しなければなりません。濃厚飼料多給の結果、ルーメン内容物が酸性に傾いてしまう状態を慢性(潜在性)ルーメンアシドーシスと言います(もっと細かい定義はありますが)。潜在性ですから特に症状はでませんが、ルーメンの機能低下から消化器機能低下につながり、第四胃変位や肝臓障害、さらには免疫力の低下や乳房炎など、様々な病気の誘因になります。特定の症状がないため、獣医師は病気ごとに対応せざるを得ません。
ところが、このルーメンアシドーシスは蹄底潰瘍の原因であり、蹄底潰瘍の発生状況がルーメンアシドーシス牛群かどうかの確実な指標になります。今まではルーメンアシドーシスと蹄底潰瘍の間に蹄葉炎という病気が存在するとされていましたが、最近は蹄葉炎の関与は疑問視されています。いずれ、蹄底潰瘍多発牛群は潜在性ルーメンアシドーシスであると考えて間違いなく、濃厚飼料量を減らすことでこれは劇的に改善します。ですから、蹄底潰瘍多発牛群に出会ったら、濃厚飼料が過剰であることを畜主に伝えることは、蹄を扱うプロとしては重要な仕事だと思います。
削蹄師が畜主にこれを伝えても、牛群は改善されないかもしれません。飼料設計を行う畜産指導者も飼料会社や乳業会社の飼料設計担当者も、そして獣医師も、生産効率一辺倒の飼料設計が当たり前と思っているからです。著者は1990年頃から代謝プロファイルテストによる牛群検診、つまり血液栄養診断をやってきたのですが、ルーメンアシドーシス傾向は年々強くなり、今では9割以上の農場が潜在性ルーメアシドーシス牛群になっています。ルーメンアシドーシスを改善すると病気が全く出ない牛群を作れることも実証済みです(弊社ホームページ参照:https://farmanimalcc.com/mptの効果/)が、農家指導の知識や手法が“牛の幸せ”ではなく“人の金もうけ”に偏っているため、なかなかアニマルマシーン的な牛の飼い方(EUでは1980年頃に否定された)から抜け出せません。

4.食の安全・安心は完璧確保!!牛の安全・安心は??
アニマルウェルフェアの話は別の講座に譲ることとして、今言えることは、日本の経済システム自体がアニマルウェルフェアの障害になっていて、農家レベルでの根本的な改善はかなり困難であるということです。日本のアニマルウェルフェアの大御所の先生は“日本のアニマルウェルフェアが世界レベルに追いつくには20年かかる”と言っています。農場HACCPなどで食の安全(人の安全)は世界のトップレベルを走っていますが、牛の福祉や循環型畜産(持続型社会)への取り組みは悲劇的なくらい遅れています。
できることをできる人が少しずつやっていけば、断崖絶壁に向かって走り続けるネズミの群れも少しは方向転換できるかもしれません。削蹄師くらいは牛の幸せを願って、遠い未来の健全な畜産につながるちょっとした仕事をしてみても良いのではないかと思う今日この頃です。ということで、蹄底潰瘍が多発していたら、管理獣医師に相談する様に、畜主へ一声かけてみませんか。
(なお、畜主から文句や質問が出た場合は、弊社宛(farmanimalcc@gmail.com)にメールを出すように責任転嫁して、とっとと逃げ帰ってください。)

日本装削蹄師協会機関誌“蹄”(2021) の原稿を改編